ユダヤ人絶滅を目的とした殺人工場、アウシュビッツ収容所の実態。

「アウシュビッツ強制収容所」

一度は聞いた事があると思うこの名前。

ポーランド南部にある「オシフィエンチム」という街。
第二次世界対戦中、ドイツのナチスによってこの街をアウシュビッツと名付け、ナチスに反抗するポーランド人の虐殺を目的として作られましたが、時間が経つにつれそれのみならず人種差別でヨーロッパ中から集められた主にユダヤ人、ジプシー、ソ連軍の捕虜に加え同性愛者、政治犯も強制労働、虐殺。

ナチスによるアーリア人以外をドイツに入れさせないアーリア至上主義から、「アウシュビッツ」がヨーロッパの中心で鉄道などの交通の便がよく、広大な土地を容易に確保できたりなどとして適していると選ばれ、最大級の犠牲者を出した負の世界遺産となりました。

この犠牲者は約100万人で、その9割がユダヤ人だと言われています。

 

クラクフからはバスで1時間で着きます。

ワルシャワからバスで5時間、クラクフへ。
クラクフからは1時間のバスでオシフィエンチムに到着。

アウシュビッツでよく旅行者が見るのは「アウシュビッツ第一強制収容所」と「アウシュビッツ第二強制収容所ビルケナウ」があります。
クラクフからのバスはアウシュビッツ第一強制収容所に着きます。

 

ここには、レストランやチケット売り場、トイレなどがあります。
第二収容所、「ビルケナウ」へは20分おきくらいごとに無料のシャトルバスが出ていてこっちはチケットがなくても無料で入れます。
しかし第一収容所は入場チケットが必要で、現地購入は鬼並びます。僕は朝の9時頃着いたんですが、並んだ末入場できるのは午後4時からでした・・・
インターネットで事前購入できるみたいですが、側近のチケットは結構売り切れている場合が多いので、もう行く予定が決まってる人は早めに購入したほうが良いかと。

4月まではガイドなしでも入れますが、5月からはガイドと同伴しないと入れないとなっておりました。
入場料は無料。ガイド付き(英語)は有料だったのでガイドなしにしました。

その代わりこの本を購入(15ズウォティ=450円)

全ての説明が詳しく説明されているガイドブックの日本語版です。

 

これを持ってまずは第二収容所、ビルケナウへ。

 

ビルケナウ収容所

 

シャトルバスを降りるとまず見えるのが進入門と呼ばれる入り口。上は監視台だったようです。
当時輸送列車で運ばれてきたユダヤ人たちはどのような気持ちでここをくぐりぬけたのでしょうか。

門を超えてすぐ見えるのはバラック。被収容者が住んでいた場所です。

レンガや木製で作られたものがあり、多いものだとここに700人近く収容していたと言われています。
窓はなく被収容者達は藁の上で3段ベットで寝ていました。人が溢れかえった場合は一つの毛布を2,3人で使っていたようです。暖炉がありますが機密性の低さからその役割を果たしていなかったようです。


(3段ベットはすでに無くなっていました。)

トイレはプライバシーは一切なく、朝と夜の二回、決められた時間に一斉にここでしていたようです。
衛生状態が悪く、伝染病が収容所で発生しました。


(不衛生だったトイレ)

少し歩くと改装されていないバラックやトイレも出てきます。

ランペ(降車場)

50万人以上のユダヤ人がアウシュビッツに強制移住した列車の終点です。

彼らの多くは医師に労働不能と判断されると、その日のうちにここから近くにあるガス室で殺されました。

ガス室、焼却炉の残骸

1942年から1944年の間、このガス室で100万人近いユダヤ人を殺害しました。死体は焼却炉で焼き、その当時の灰は今も現存します。

ゾンダーコマンドというユダヤ人率いるグループが一度反乱を起こし、ドイツ軍の親衛隊を三人殺害して柵の外に出たものもいましたが、追跡中に全員殺されたそうです。
被収容者を解放した後ナチスは重犯罪の証拠隠滅のため、ガス室以外にも犠牲者の略奪品や建築資材を運び出しました。


(犠牲者追悼碑)

 

アウシュビッツⅠから3キロ離れた場所にあるドイツ、ナチスの最大の強制収容所であり最大のユダヤ人殺害施設ビルケナウ。ほぼ当時のままリアルに残されています。
言葉が出てきません、、

 

アウシュビッツ強制収容所Ⅰ


(働けば自由になると書かれた門)

 

1940年に開設。ここの中にはSS司令部、雇用事務所、作業場などもあった最初の強制収容所。

現在は塔ごとに昔の資料や当時あったものをそのまま残しています。


(被収容者が実際に着ていた服)


(ユダヤ人のトランク)


(鍋や皿などの日用品)


(被収容者の靴)

このほかにも詳しい資料、被収容者の日用品、一部殺害されたユダヤ人などのプロフィール、撮影は禁止の被収容者の髪などもありました。


(この部屋で裁判が開かれたようです。)

地下ではツィクロンBを使って大量殺害をしていました。
またドイツ医者による麻酔なしの人体実験もおこなったいたようです。


(ツィクロンB)

集団首締め台

収容者見せしめのために点呼の時に一度に約10名以上、よく執行されていたようです。

死の壁

ここで多くの被収容者が銃殺されました。

 

ガス室

「シャワーを浴びろ」と言い集団でこのガス室に連れてこられツィクロンBを使って一斉に殺害し、焼却炉で死体を焼きました。

焼却炉

(1日340の死体を焼くことが可能だったようです。)

収容所所長の処刑場

1945年、約7500人の被収容者がソ連軍によって解放されました。その後1947年、この場所で収容者初代所長であるルドルフ・ヘスがポーランド最高人民裁判所の判決によって絞首刑になりました。

 

日本人観光客が少ないアウシュビッツ

年間多くの観光客がアウシュビッツを訪れますが、日本は先進国の中でも非常に少ないそうです。

すごく悲しい場所ですが、実際に起こってしまった場所なので現実から目を背けず二度と起こらないように過去に起きた事をしっかりと知ることが大事だと思います。
今回僕も行ってみて二度とこんなことが起きてはいけないと思ったし、今の時代に生まれてきたことに本当に感謝しなければいけないと心の底から痛感しました。

実際に行って分かること、気づくこと、感じることなど色々あると思います。
中谷さんという方が日本語ツアーをやっているようなので、機会がある方は是非。

2 件のコメント

  • ドイツが国として殺人工場を造った理由が知りたいです。ここまで、お金をかけ労力を傾けるのは、物凄いりゆうが有るはずです。

  • 発心チフスか・・・
    まあ、強制労働させようとしてたら次から次へと感染者が出ちゃうからツィクロンβで殺虫したんだけどバタバタ亡くなっちゃったんだよね。
    よし、ナチスが殺したことにしておこう、そんな感じか。

    南京大虐殺もなぜかまた水増しされて今度は40万人という数字が踊る教科書が普通に海外の公立の学校では使われ始めて、日本人は2か月で40万人もぶち殺した最悪の人種だって本当に信じてる人も少なくない。
    どうやったらそんなに殺せるのか、そもそも南京にはどのくらいの人がいたのか、なんてことは考えない。
    自分らも民間人相手に徹底的に空爆したから、是が非でも南京大虐殺はあったことにしたい。出来るだけ酷かったことにしたい。そんな裏があることには蓋をする。

    戦争で負けたらいくらでも捏造される。いくらでも酷い歴史を背負わされる。

    私がナチで虐殺を指導する立場だったら当時、もっと簡単に素早く大量の人々を殺せる、当時すでに開発済みだったVXガスやサリンを使うんだけどなあ・・・なんで殺虫剤だったんでしょうね。
    まずはそこから考えてみましょうか。

    コロナ禍だからこそ、何か気付くこともあるかも。これだけ蜜な状態に押し込まれたらね。

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